いろいろな移住

皆さんこんにちは!

本日も当サイトにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。

ここ栄村でも、最近は動くと暑いと感じる日が増えて参りました。

暑くなるにつれて、わが社の社内もクールビズっぽい装いの人が増えてきたように思います。

ノーネクタイのワイシャツにスラックス姿の人もいれば、作業ズボンにポロシャツ姿の人もいて、勤務部署ごとにクールビズもいろいろです。

クールビズで仕事をしているのですが、村内を回っていると日陰にはまだ雪が残っているのですよ。

なんだか不思議というか、雪って結構しぶといなぁーって思います。

よーく考えてみれば、つい最近まで暖房の中で仕事をしていたのに、季節の移ろいは速いものですね。

さて、移住について思うのですが、最近はテレビの番組でも取り上げられることが多く、ずいぶん聞きなれた言葉となりました。

移住と転居ってどのように違うのでしょうか?

私は元々いわゆる転勤族で、京都、大阪、島根と大きな引っ越しをしてきましたが、いずれも単なる転居であり、転居にあたって何の決意や覚悟もなく、ただ命じられるままに引っ越してきたように思います。

単に命じられての転居でしたが、どこも「住めば都」で、それなりに楽しかったです。

しかし、楽しいと感じていたのは私ばかりで家族にとっては肉体的・精神的にもかなりの負担をかけてしまっていたのです。

上の子は、生後6か月から保育園に入れ、3歳になるまでの間に2回転園させてしまいました。

転園を繰り返すうちに他人に興味を持たなくなり、自閉気味になってしまいました。

舞鶴の府立療育センターでASD(自閉症スペクトラム)の疑いあり、と診断され決意しました。

頭上にカミナリが落ちたかのように

「移住しよう」

と思ったのです。

移住するなら、カミさんの実家(千曲市)付近が良いかということになり、長野市以北で仕事探しをしていたところ、偶然、栄村職員を募集しているとの情報を得たため、迷わず応募、めでたく合格採用となった次第です。

このように振り返りますと、私の移住は生きていくうえで必要に迫られて始まったように思われます。

移住前に栄村に何度も通ったわけでもなく、いきなり仕事を変えて飛び込んだのですから、移り住んでからの苦労は結構ありました。

言葉や生活習慣、地区のつきあいなど数えればキリが無いのですが、これらの苦労は子供の顔を見ると吹っ飛びます。

ここへやってきて3年目になるのですが、上の子の様子が劇的に変わったのです!

私が目論んだとおり、少人数保育が奏功したのでしょうか。

友達とも仲良く遊び、野原を駆け回り、物事については見通しを立てられるようになったのです。

ASDに関する当村の支援体制もしっかりしていることに加え、片道1時間弱でASD児をしっかり診てくれる大きな病院(リハビリも一緒にできる)がありますので、とっても助かりました。

今では小学校に上がり、普通級でも心配なく(多少やらかしますが、、)元気に通っています。これも栄村にきたおかげだなぁって、自らの英断に酔いしれてます。

我が家の移住は、テレビとかで紹介されているように決して「キラキラ」したのものではないけれども、こうやって「どっこい」生きてる移住もアリなんじゃないかな?って勝手に思ってます。

それでは本日はここまで!

次回更新までさようなら!!