平和について
皆さんこんにちは!
いつも当サイトにお越しいただきまして、本当にありがとうございますm(_ _)m
ここ最近続いていた猛暑も一段落し、時々雷を伴いながらザっと降る日が増えてきました。
雨が降る前はすっごく蒸し暑いのですが、ザっとひと降りした後は涼しい風が吹き抜けます。
すぐ涼しくなるあたりは、やっぱり信州だなぁーって思います。
暑がりの私は、本当にここへ来てよかったと思うのです。
当村のキャッチフレーズ、
「みどり豊かな心やすらぐ村」
ですが、まさにそのとおりで、特に街中からやってきた人間にとっては、村内のどこにいても木々の緑色が目に入り、夏にも時折涼しい風が吹き抜け、夜の風呂上がりでもベタベタせず爽やかに過ごせる環境は、その人の心に平和をもたらしてくれます。
心安らかに寝床につくことは、都会暮らしでは当たり前にできるようでなかなかできないものですよね。
ここ栄村では、このような人間らしい暮らしが普通にできるので、是非皆さんにも実感して欲しいです。
平和について、というお題についてですが、先週土曜日に行われた、
PEACE ROAD 2022 In NAGANO
というサイクリングのイベントの出発式に参加させていただいて、平和についてちょっと考えてみたのです。
このイベントですが、2013年の夏に世界平和の実現並びに日韓両国の友好親善を祈願して、両国の若者たちが自転車で国土を走行することから始まったイベントだそうで、北海道から沖縄までリレー形式で縦走し長野県でも大学生・青年を中心にイベントを行ってこられたとのことです。
(写真:信州プロレスのグレート無茶さんも応援に駆けつけてくれました。)
平和である、というのはどのような状態のことを言うのでしょうか?
私の超個人的な意見ですが、心が穏やかでなければ争いや事件が起こりやすい状態になるのだと思います。
ルールを守る(あるいは守ってもらう)行為ひとつを取ってみても、どのようなお願いの仕方が一番守ろうと思える(あるいは思っていただける)かを常に考えないと、お互いにイタチごっこのまま平行線を辿るだけだと思います。
子供を叱るとき、心に余裕が無いと感情的になってしまい、叱るという行為が子供の教育ではなく子供への攻撃に終わってしまうこともあるでしょう。それでは、親が子に伝えたいことが伝わらないだけでなく、親子関係も悪化しかねません。
家の中が、村が、町が、国が、世界が平和であるためには、お互いを認めて理解しあうことに尽きるのだと思います。
まだまだ人間のできていない私が言うのもアレですが。。
家の中のことに限って言えば、それでも最近、移住前と比べて親子関係が変わってきていると感じています。
舞鶴時代、夜寝るときには私ひとりポツンと寝ていたのですが、このごろは私の両隣に子供たちがくっついて寝てくれます(ちょっと暑苦しいですが(笑))。
これは自己分析ですが、ここ栄村に来てからは感情的になって子供を叱る回数が減ったからだと思います。
言い換えれば、私の叱り方が上手になって、言いたいことが子供に伝わるようになり、こちらの言うことを聞いてもらえるようになったからだと思います。
これも、ほんの少し心に余裕ができたからだと思います。
平和である、というのは見かけの平和ではなく、真の意味での平和について考えたとき、やはりそれぞれの人々の心の中が穏やかであることが大事だと考えます。
私は今まで、国境警備や犯罪捜査、海難救助の関係の仕事をしてきて緊張の連続でしたが、ここへ来てやっと人間らしい生活を送れるようになりました。
まずは家の中から平和な環境を外へ少しずつでも広げられたらいいなと考えています。
本日はここまでとさせていただきます!
それでは、次回の更新までさようなら!!